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2006FIFAワールドカップ 公式レフェリーウォッチ カシオ PHYS RFT-100WC-1JR




【PHYS】フィズ CASIOカシオ 2006年FIFA WORLD CUP公式レフェリーウォッチ RFT-100WC-1V










Q.認めてもらうためにはどうしたら良いですか。


6月9日の開幕を間近に控えた「2006 FIFAワールドカップ」ドイツ大会。
日本の代表選手とは別の立場でピッチ立つ日本人レフェリーがいます。
ワールドカップ主審23人の中に日本人としてただ一人選ばれたのが上川徹さん(42才)です。
上川さんは国際試合の主審を経験してからわずか4年で、前回2002年のワールドカップで主審に抜擢されました。
上川さんは、その技量をどのようにして認められたのでしょうか。

A.好きなことをやって常に上手くなることを考えていれば、やがて認められるようになります。


凛とした笛の音、引き締まった精悍な風貌。厳しさの中から時にこぼれる笑顔。
上川さんが吹くホイッスルは、感情をそのまま反映させます。
許しがたい危険なプレーには突き刺すように厳しく、そして時にはなだめる様に優しく。

サッカーは敵味方が入り乱れ、ボールを巡って常に攻守の流れが変化していきます。
攻めと守りが交互に入れ替わる野球とは対象的ですね。
ホイッスル一吹きで、簡単にゲームの流れが変わってしまうのです。
そんなサッカーの審判に求められるのは「スムーズなゲームコントロール」でしょうか。

上川さんは東海大学在学中にはキャプテンをつとめ、卒業後はフジタサッカー部でFWとして活躍しました。
しかし、膝の怪我が原因でJリーグ開幕の2年前に引退したのです。
「サッカーとかかわっていきたい」
そう考えた上川さんは28才の時に審判になりました。

上川さんに足りなかったのは審判としての経験でした。
大学や実業団の試合で審判としての経験を積みます。
多い時には1日に2回笛を吹いたこともあったと言います。

「うまくなってJリーグのピッチに立ちたい」
そうして1994年、1級審判員を取得し1996年にJリーグデビューします。
この年、上川さんの主審としての原点とも言えるゲームを経験することになります。
優勝を争う浦和レッズとヴェルディ川崎の試合です。

前半8分、2回のタックルまで許した上川さんでしたが、3回目にイエローカードを出しました。
ゲームはその後も荒くなり、次々にカードを出します。
3人が退場し、監督と通訳までも退場処分となりました。

上川さんは当時を振り返り「笛だけではゲームをコントロールできない」そう痛感したそうです。
「反則を未然に防ぐ大切さ、理想は笛を吹かないゲーム」を考えたのです。
上川さんがおっしゃるには「相手も反則しているのは分かっている。だから『もう次をやったらダメだよ』」と無言の圧力をかけるのだそうです。

1998年から国際主審登録され、国際試合でも笛を吹くことになりました。
そして2002年FIFAワールドカップで初めてW杯の主審に選ばれ、アイルランド対カメルーン戦を担当したのです。
サッカーの試合は一試合ごとにインスペクターと呼ばれる判定員によって、審判の採点が行われます。
ピッチでは選手達だけではなく、審判もまた一試合一試合が戦いなのです。
上川さんは、この大会で次の試合で笛を吹ける信頼は得られませんでした。

2003年1月、FIFAは2006年大会で主審候補者となる46名を発表しました。
上川さんはその46名に選ばれ、今年3月まで1年以上にも及ぶテストに挑んできました。
ワールドカップの審判の定年は45才。
上川さんにとって最後のチャンスです。
上川さんは自分の能力に足りない物のひとつとして、フェイスコントロールに気づきました。
フェイスコントロールとは、判定を下す際の厳しい顔と笑顔の使い分けです。

上川さんは同じイエローカードを出す際にも表情を使い分けます。
試合中にヒートし、危険なプレーをしたにも関わらず判定に納得しない選手には厳しい表情でカードを挙げます。
「危険な行為は絶対に許さない」という毅然とした態度です。
一方で、納得している選手には苦笑混じりの笑顔で応じます。

ゲームの中断と処分した選手へのケア。
厳しく指摘するよりも笑顔で諭す方が選手も冷静になれる、そう判断したときには表情を柔らかくするのです。
58回の笛を吹いたと言う1996年の試合を経験した上川さんが痛感するゆえんでしょう。


こう書くと上川さんの人生は順風満帆なように思える人もいることでしょう。
ですが決してそうではありません。
実業団を引退するきっかけになったのは膝の故障です。
サッカーが好きだからこそ、大学卒業後もサッカーをプレイすることを考えたはずです。
怪我で、サッカーを続けられなくなったときの挫折感は想像に余ります。

また、2002年大会の直後には右膝の半月板の炎症で手術を受けています。
医師からは完治しない、と言われたそうです。
上川さんは、腰、太もも、ふくらはぎなど、膝の周りの筋肉を鍛えるトレーニングを積むようになりました。

2006年大会の主審候補は46名から半分の23名までにテストで選考されます。
そのテストには、40メートルを6回続けて6秒2以内で走るものや、150メートルを30秒以内で短い間隔で20回走るものがあります。
テスト前のトレーニングでは、右ひざを庇った結果、左腿が肉離れを起こしかけたこともあったのです。
そんな不安の中の選考試験だったのです。
上川さんは、3月31日無事、ワールドカップの主審として選ばれました。


私は上川さんの目標達成のための哲学や挫折感の克服など、実体験を知りたかったのですが番組ではそれについては触れられませんでした。
ただ、上川さんへのインタビューを通して推測できることはあります。

それは「自分に足りないものや、壁を乗り越えるための解決方法の模索」を常に考え実践していることです。
「笛を吹かない」「フェイスコントロール」もそういった振り返りの賜でしょう。

では、自己を振り返るという意識はどこから来ているのでしょうか。
実際に上川さんは自分が主審をつとめた試合を後からビデオでチェックしています。
この意識は、単にプロ意識なのでしょうか。
私はいわゆる「好き」が高じた職人意識ではないかと思うのです。
プロ意識と職人意識。
私もうまく違いを説明できませんが、好きだからこそ「能力を高めたい」という気持ちを持続できたような気がしてならないのです。

なぜワールドカップの主審に選ばれたのか。
FIFAが上川さんをワールドカップの審判候補に選んだ理由は「判定を下す道どりの良さ」を挙げています。
常にボールの近く、プレーの全体を見渡せる位置にいて次を読んで動いていることを指すようです。
技術的なことは分かりませんが、上川さんは常に「ナンバー1」を目指していたのでしょうか。
私はそうは思いません。
「いいゲームを行いたい」
そんな気持ちの日々の積み重ねが、この結果につながっているのではないでしょうか。

上川さんは番組の中で試合を振り返って述懐します。
「しっかり選手が集中してプレーしてくれれば。ゲームは壊れない、いい試合ができれば。うまく……試合を壊さないようにね」
そんな控えめな言葉が印象的でした。

好きだから続けられる。
好きだから成長する。
結果は後からついてくる。
そんな気がしました。

上川さんはワールドカップの決勝線で笛を吹けるのでしょうか。
それが叶わなかったとしても、上川さんは残念に思う気持ちはあっても後悔はきっとしないでしょう。


※このページはテレビ「にんげんドキュメント もうひとつのワールドカップ〜審判・上川徹の挑戦〜」2006年5月27日(金曜日)」に放送された番組を参考に記述しました。

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